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文字の便利さと怖さ

メールっていうのは便利なんだけど怖いところもありますね。
相手の表情が見えにくいというか。
昔でいう手紙というものは、そんなに頻繁に書くものではないから、
書くときといえばそれはもう一生懸命書いたもの。
自分の世代ではラブレターというものにドキドキしたものです。
変わって現代、メールというものがパソコンと携帯電話の進化により身近なものになりました。
身近な、頻繁なものになればなるほど、1メールについての気合いというか身の入れようが少なくなりがち。
特に急いでいるときなんかね。
電話でも、直接会って話するよりコミュニケーションというか表情、その人の真意というのが見抜きにくいのに、絵文字でどんなに着飾ろうが横面は同じような見え方をする。
その中にその人の真意を見つけるのは至難の業だろう。
特に仕事のメールで、少しやりとりをした後の、ちょっとしたトラブルがあったときなんかは最悪だ。
自分の読解力が未熟なのかもしれないけど、相手の丁寧な文章の中に隠れる冷気というものをよく感じることがある。
「あれ?オレ悪くないよね?何か後味悪いな」と感じるときがたまにある。
勿論先方はこちらが思うような他意はまったくないのかもしれないけど、文面の空気感だけを切り取ってみると、少し冷たく感じたりするものだ。
仕事以外の件に関してもそういった状況は多々あるものだ。
こんなことを書いている自分でさえ、相手に不快感を与えているかもしれない。
このレコメンドだって、人によっては、こちらが意図するところとは別の捉え方をする場合だってある。
今回のこの文章には答えがあるわけでもなく、こうしたらいいかもね、という希望があるわけでもない。
もしかしたらいつの世にも存在する、「進化と共に失われていくもの」「進化により普通の状態になっていくもの」の一つなのかもしれない。
でもこうやって書くことで、これを書いた自分と、そしてこれを読んでくれた人たちが、少しはこういったことを考えてくれるかもしれない。
自分の音楽と同様に、押しつけではないけれど、色々と考える、色んなことを知るきっかけになれば幸いです。

calm

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