ご心配おかけしました

多くの皆さんに励ましの言葉やメールをいただきまして感謝しています。
やっと色んな行事も終わ一息ついているところです。

あいかわらず実家は田舎にあるのでインターネット環境など全くなく、近くのインターネットカフェにて更新しています。
都会は便利だなと思う反面、田舎の昔ながらのしきたりなんかも捨てたもんじゃないなとも思います。
通夜や葬儀のときなど実家の集落というか町内会の人たち総出で手伝ってもらったし、色んな人たちに支えられました。

うちのばあちゃんも満足して旅立っていったかもしれませんね。

今でも不思議な感情です。
勿論悲しみはあるのですが、なんとも表現し難い心具合です。

そして改めてですが、うちのばあちゃんの凄さに気づきました。
うちは両親共働きだった関係で、小さいときからばあちゃんに色んな世話をしてもらいました。
ときには本当に厳しかったです。
そしてときにはものすごく優しかったです。
それは実家を出てから特に感じましたが、今思え返せばもっと多くのことに気づかされます。

ばあちゃんは自分のことよりも人のことを心配する、そして優先する人でした。
入院した後も、本当は自分が一番辛いはずなのに、見舞いにいった俺たちのことを心配してました。

アルバムのマスタリングが終わり、速達で音源を送ったのですが、その時点で間に合うかどうかという瀬戸際でした。
しかしギリギリ聴いてもらえたみたいです。
勿論意識がもうろうとしている中ではっきり聴こえたかどうかはわかりませんが、それでもこちらの気持ちをしっかりと受け取ってくれたはずです。
これはあくまでも自己満足の世界かもしれませんが、それでもそんな俺の気持ちを察してくれたのかもしれません。

音源が届き、聴いてもらい、1時間ほどして息を引き取ったそうです。

最後の最後までばあちゃんの愛を感じました。


優しさや愛というものはなかなか伝わりにくいものです。
伝わりやすいものほど実は安易だったり浅かったりするものです。
相手のことを思えば思うほど言葉尻がきつくなったりして、その思いやりが違う方向に受け取られる場合が多いかもしれません。
しかし時間がたってみれば、また自分が逆の立場に立ったときに、その思いを理解することが多いです。

結局言葉ではなかなか通じない場合が多いです。
背中を見て育つという言葉は間違っていないはず。

ばあちゃんからは色んなことを学んだし、色んな叱りを受けたし、色んな優しさを感じました。
そのときに気づいたこともあれば、実家を出て一人暮らしをはじめて気づいたこと、社会にもまれ気づかされたこと、ばあちゃんの闘病生活を見て考えさせられたこと、そして死を直面した後に思い出すこと、さらに今後きっと更に気づかされるであろう何かを。
優しさや思いやりはそんなものです。

近頃はそこから逃げて楽なほうへと行ってしまう若者の多いこと。
そりゃ皆注意されたり自分にいやなことを言われるのは嫌いですよ。
言い方もあるかもしれません。
しかしあとできっと気づくと思います。
本当に相手のことを思って言ったことは特にです。

それとは逆に負の力、ネガティブなこと、怒りなどは即座に伝わっていきます。
怒りを怒りで返せばそれは倍どころではない負のパワーとなって襲ってきます。
世界中で繰り返される戦争や紛争、テロなどは、その負のパワーをゲームのように扱っている一部の人たちが原因のはず。

少し古い言葉になってきていますが、武器をペンに、口論を歌に、怒りを握手にできれば最高ですね。


いろいろ徒然なるままに書かせてもらいました。

明日の初七日が終われば東京に戻り、またDJやライブ、そして新しいアルバムの準備に戻ります。


皆さん本当にありがとう!
あと少しだけお待ちください。

calm