Running is like a Samba

David Benoitの名曲”Life is like a samba”ではないですが、走ることはまるで人生の縮図のような感じ。
走るという目標地点を決めて、そこまでの往復をどのように走るか。

まずは意気揚々と走るときもあれば、強迫観念に縛られたり、嫌々走り出したり、何も考えずに走り出したり。
走り出したらその日の体調やスピード管理で早めに疲れがきたり、いつもより走れたり。
もう引き返そうと思ったり、外の景色の素晴らしさにうっとりして疲れを忘れてしまったり。

次に目にするのは周りを走る車だったり、同じようにランニングをする人だったり、自転車で走っている人、普通に歩いている人。
ときには自転車に追い越されたり、同じように走っている人に追い抜かれたり追い抜いたり。

調子に乗って走っていると疲れがピークに達して、ここで少しスピードを落とすべきか?それとも一度クールダウンする為に歩いていくか?それとも一度立ち止まるか?
毎日の体調や天候、またその日の精神状態で決断が変わってくる。

しかし基本的には家まで走り終えるということが大きな目標だから、立ち止まるくらいなら少しペースを落としてでもなるべく走り続ける。
何か大きなアクシデントが起こらない限りは、必ず家には辿り着くのだから。

生きているということは、毎日何かの試練に打ち当たったり楽しいことがあったり、何も無い日でも小さな出来事は必ずあるはず。
目標通りに走りきった後には爽快感が残るのと同じように、人生でも小さな達成感が大きな達成感を生むことがある。
毎日のランと同じように何か仕事ややるべきことを全うするには、小さいけどやらなければいけないことの積み重ね。
大きなことが一度に出来るわけではなく、準備から本番まで小さな積み重ねの繰り返しだろう。

失敗することもあれば、途中で目的地が変わることもあるし、追い越されるときもあれば追い越すときもある。
追い越されたら悔しくなることもあるし、追い越せば優越感に浸ることもある。
何を思ったか自動車と色んなことを比べることもある。
遠くの電車を見つめていたらいつのまにかここに着くときもある。
目を閉じていたら道を外れることもあったり、障害にぶつかりそうなときも。

色んなことを考えながら、そして最終的には無心にゴールへと向かう。
その毎日の積み重ね。
身体が疲れたときは、次の日はオフにするのか?それとも続けることで体力を付けていくのか?
そもそも目標は気力なのか体力なのか?

人生という大きな目標があってその中でとても多くのやるべきことが枝分かれしている。
その多くのやるべきことも一夜にしてできることではないから、毎日小さなことからコツコツとやらなければ達成出来ない。
大きな目標の為に始めたことなのに、途中で何の為にやっているのかわからなくなってしまうことも多い。
そして最後には本当に大切にしなければいけないことを裏切ってしまったり、ないがしろにしてしまったり、、、

目標、状況判断、ぶれない、コツコツと努力すること。
ときには方向転換することもあるかもしれないがそれは大きな目標の為。
決して楽をしようとか、ぬるま湯につかろうとか、快楽に浸ろうとかではない。
若い頃は若い行動ができるし、歳を取ればそれに合ったやり方がある。


こんな「徒然なるままに」で書いていることに共感してくれる人もいれば、全くもって理解してもらえない場合もあるし、時代と共に理解してもらえることもあるだろう。
自分自身仙人としてある境地に達したではなく、色々考えながら生きているからこんなことも「徒然なるままに」書いてしまうのかもしれない。

こういったとき「徒然なるままに」と入れると楽ですね。
別に考えを押し付けてる訳ではないんですよね感出ますしね。


Calm20周年イヤーの始まりに。
小学生高学年のときに強く思った「人生音楽と共に!」を全うすべく、まずは一つの良い節目『Calm 20th』をどのように行動するか。
自分自身も楽しみです。

calm